六方沢橋(霧降高原)

慶応4年4月29日、大鳥圭介は夕刻から夜半にかけて日光から退却した。選んだルートは六方沢越えの間道で、日蔭村(栗山村)を経て会津藩領五十里に達する道である。間道といっても人ひとりがようやく通れるくらいの山道で、しかも地元民の先導もなく、雨後のぬかるみの道を暗闇の中の行軍であった。2000余の軍隊は樹陰に寄り枯葉を焚いて暖を取り、石を枕に一夜を明かした。翌朝、露営の中、目を覚ますと深い渓谷には白ヤシオツツジが見事に咲き誇り、戦時を忘れさせるほどの桃源郷であったと、大鳥圭介は後に漢詩に詠んだ。

六方越(大鳥圭介作)
六方越(大鳥圭介作)

六方沢橋
六方沢橋

六方沢
六方沢

六方沢駐車場より日光市内遠望
六方沢駐車場より日光市内遠望

六方沢駐車場より
六方沢駐車場より

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